6.18.2017




















原宿のこと、ナウちゃんのこと書いてから





一ヶ月以上過ぎてしまった. . . . . . . . . .





こんなに長く書かなかったことってなかった













このページを目の前にしても   何も浮かばず   オヤジのこともあまり想い出せず



























父の日. . . . . . . 六月十八日







大正六年三月二十二日生まれ 



生きていたら今年でちょうど百歳だったんだね



まず此奴の誕生日



私が十八歳になるまで ”一月一日生まれ” と家族みんな信じていた。



年もキリよく ”大正十五年” だと言っていたように記憶している。



何故かといえば



オヤジには戸籍がなく  




誕生日や生まれた年など 知るすべもなかったから




生年月日はキリの良いものにしたんだと思う。 




私たち家族も能天気というか 無邪気というか 




そんなことは どうってことも なんていうことも なかった




のちに思ったのは




”元旦にケーキを用意しなければならなかった”  ”ケーキを買うことが至難だった” こと




今と違い、元旦からやっている店なんて殆どなく  





それだけが憎かった こと





なんであれ ”怒りはそこかい?” ってな具合の 能天気っぷりの家族で





そうでもなければ 





あの破天荒で お茶目で 洒落た男と





生活を続けるなんて出来なかったはず





得てして 母にとってはね




私だったら 




見捨てただろうし ぶっ殺していたかも していないけど 何度そう思ったことか




でもそんな狂ったオヤジの娘で良かった?  



良くなかった?




良かったのだと思っている。  思うようにしている。  




そう思わないと私自身を否定することになるから。




誰が どう見ても  




私はオヤジの血を受け継いで DNAを受け継いでしまっている




私の色々は. . . . . .   




性格もファッションも人付き合いも ものの考え方も 




後天性でなく オヤジからの天性のもので





ああはならない  ああいう男を好きにならない 




と思い続けたのに




人生を過ぎて   過ごしてきて   






結局のところ 良くも悪くも 私は父とそっくりな私になっている





まぁいっか. . . . . . . . .




今はそう思える   多分、今幸せなんだと思う。




だからなのかなぁ   




年を取って物ごとをあまり深く考えられなくなったからなのかな




深く考えないということは   幸せなのでしょう 多分、そうなのでしょう。



ってなことで 



オヤジの



可愛くて



茶目っ気たっぷりで



洒落てて



クレイジーな生き様は




いつの日か必ず書き記そうと思っている。




そこから始まって 私自身のことも書きたいなって ずっと思っている。









洒落者で可愛げも茶目っ気もある人だから みんなに可愛がられたんだと思う。

昭和の黒幕 ”児玉誉士夫” に可愛がられて。 ” 安藤昇 ”と親しくなって。わからなくもない。ただその付き合いをうまく利用して昇り詰めることもしなかったことが娘としては悔やまれる。はははは。

オヤジのこと書くときにいつも載せる写真だけど。
なにかあると児玉事務所から届く封書。電報も残っている。

あの人はこの写真見て ”chet bakerに似ているね” ってよく言っていた。



人殺しみたいな冷たい目だけど



山崎努にも似ている



海外の俳優 他にも似ている人いたけど忘れちゃった。



この時で七十三歳だったと思う



チェックのネルシャツに バックスキンのジャケット着て モカシン履いて




洒落てんだよなぁ




この三年後



オヤジに嘘をついて 初めてステイツの東海岸へ旅立ち しばらく放浪して



戻ってきて一週間後に死んだ



真逆、死ぬなんて思っていないから友達とケーキを食べに行っているあいだのことで




呆気なく 人生が終わったの




そう、人生なんて呆気なく    





あっという間に時間が過ぎて    






そんな風に思うと  いつも生き急いでしまうんだよなぁ








ってなことで 





本日、父の日





そこの同級生  本日、誕生日